産業革命はイギリスからなぜ始まったのか?簡単に説明しよう。

産業革命
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産業革命はなぜイギリスから始まったのでしょうか?まずはイギリスで産業革命が生じた当時イギリスは欧州でNo1の地位を得ていたことが挙げられます。その結果得た植民地からの利益がもたらした結果だったと言えるのではないでしょうか?

1.イギリスがNo1になった理由は?

1756年~63年に生じた7年戦争でイギリスはプロイセンと組み、フランス、オーストリア、ロシアに勝利します。欧州のみならず、北米、インドでもフランスを相手に勝利し、広大な植民地を手に入れることに成功しました。植民地を手に入れる貿易によって莫大な利益を得ることができます。「三角貿易」と呼ばれるシステムです。欧州の武器をはじめとした品物を西アフリカで黒人奴隷と交換します。黒人奴隷を南北アメリカ大陸・カリブ海へ運び、砂糖・綿花などと交換します。交換した佐藤・綿花を欧州に運び利益を得ました。

2.イギリスにおける植民地からの富による社会変化は?

実は当時のイギリスにはもう一つ大きな革命が起きています。「農業革命」です。農業革命によって飛躍的に農業生産が向上します。飢えることがなく栄養状態が改善すると自然と人口は増えます。そんなところに三角貿易によって入手した綿花が現れます。綿花を利用した毛織物業が盛んになります。農業技術の向上により農業に割く人手が余ります。そういった労働者が毛織物といった製造業に流れます。こうなるとヒトはどんどん豊かになります。豊かになるとより格差が広がります。格差が広がると労働環境が悪くなります。すると労働問題が生じます。

3.イギリスにおける社会変化から産業革命まで。

労働問題を解決するための一つの方策として、機器の改善があります。このころの製造業のメインは綿織物業ですが、綿花から糸をつむぐ紡績機が発明されたのはこの頃です。紡績機が発明されたことで、生産量が向上します。味を占めると新たな機器の開発投資も進みます。同時に複数の糸をつむぐジェニー紡績機が発明され、その後蒸気機関を利用した紡績機が発明されることになります。紡績業が自動化されると、また労働力に余裕ができます。余裕ができると新たなビジネスモデルが生じます。そうやって様々なものが機械によって大量生産されることになったのです。

現在進行形の第三次、第四次産業革命によって社会構造の変化が起きています。しかしその変化によって新たなビジネスモデルもできています。変化を恐れるのではなく、変化の波にのり新たなことに挑戦できる親父でありたいと思いました。

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