『嫌われる勇気』と仏教の共通点|アドラー心理学と「唯識論」が教える世界の変え方

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こんにちは。

企業勤めの内科医ヒロスケです。

先日オーディブルで「嫌われる勇気」を聞きました

ずっと有料だった作品なんですが

ふと気づくと「聞き放題」対象作品になっていたので早速聴きました

一人の哲人と一人の青年がディカッション形式で話が進みます

同意できる点

同意できない点

人それぞれの意見があると思います

私はかなり同意できる点が多く

そして実践している行動もありました

詳細はぜひ聴いていただきたいのですが

聴きながら自分で何に共感しているのか

自分がなぜこの考え方をすでに実践しているのかを考えたときに気づきました

これって仏教の唯識論と同じなんじゃない?

そんな気づきを記事にしてみました

はじめに:一冊の本から始まった「視点の転換」

ベストセラー『嫌われる勇気』を読み進める中で、ある既視感を覚えました

それは、数千年前から東洋で受け継がれてきた仏教の深層心理学「唯識(ゆいしき)」の教えです。

西洋の近代心理学であるアドラー心理学と、東洋の古き智慧である唯識

一見、交わるはずのない二つが

実は「この世界をどう捉えるか」という一点において

見事なまでに重なり合っています


1. 唯識が教える「万法唯識」の世界

まず、仏教の「唯識論」をおさらいします

唯識とは文字通り「ただ、識(こころ)だけがある」という考え方です

私たちは、目の前に「客観的な現実の世界」が厳然と存在していると思い込んでいます

しかし唯識では、私たちが「見ている」世界は

実は自分の深層意識(阿頼耶識)に蓄えられた過去の経験や記憶(種子)が投影された映像に過ぎないと説きます

例えば、一本の木を見ても、木材業者には「利益」に見え、画家には「色彩の調和」に見え、疲れた旅人には「休息の場」に見えます

そこに「木」という客観的な実体があるのではなく、それぞれの心が描き出した「木」があるだけなのです

同じものを見ても見る人によって全く異なったものになる

そんな経験はしたことはありませんか?

見る人によって事象は異なるという認識は

人を理解し、自分を理解してもらうためには非常に重要な認識だと私は思っています


2. アドラーの「認知論」:世界に色をつけているのは自分

この唯識の視点は、アドラー心理学の根幹である「認知論」と驚くほど一致します

アドラーはこう言いました

「我々は客観的な世界に住んでいるのではなく、自ら意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいる」

アドラーによれば、私たちは誰もが自分特有の「色眼鏡」をかけて世界を見ています

暗い色の眼鏡をかけていれば世界は暗く見え

明るい色の眼鏡をかけていれば世界は光に満ちて見えます

ここで重要なのは

「世界が暗い」のではなく、「私が暗い眼鏡をかけている」という事実

問題の原因を「外の世界(他者や環境)」に求めるのではなく

自分の「意味づけ(ライフスタイル)」にあると考える

これがアドラーの教えであり

唯識に共通する徹底した主体性です


3. 「目的論」と「転依(てんえ)」:今この瞬間に世界を変える

『嫌われる勇気』の中で最も衝撃的なのは

過去のトラウマを否定する「目的論」でしょう

過去の出来事(原因)が今を作っているのではない。今の目的が、過去の意味を決めているのだ

という主張です

これは唯識における「転依(てんえ)」、つまり認識のあり方を根本から転換することに通じます

  • アドラー: 「変わりたい」という勇気を持てば、過去の意味づけを変え、今この瞬間に新しい自分を選択できる。

  • 唯識: 妄想に囚われた認識(遍計所執性)を捨て、ありのままを観る智慧へと転換すれば、苦しみの世界は一瞬で悟りの世界へと変わる。

どちらも、

「外側を変える必要はない。自分の内側(認識のOS)をアップデートすれば、立ち現れる世界そのものが一変する」

と説いています


4. なぜ「嫌われる勇気」が必要なのか

では、なぜわざわざ「嫌われる」という不穏な言葉が使われいるか

それは、自分の世界の主導権を自分に取り戻すためです

他人の評価を気にするということは

自分の世界の描き方を他人に委ねている状態です

それは唯識でいうところの

「虚妄(偽りの現れ)」

に振り回されている状態と言えます

「嫌われる勇気」を持つとは

他者の眼鏡で自分を見るのをやめ

自分の足で立ち、自分の心で世界を描き直すという宣言です

これはいわゆる仏教が目指す「執着からの解脱」と同義ではないでしょうか?


結びに:勇気とは、自分の心を信じること

アドラー心理学と唯識論の共通した希望とは

「どんなに過酷な状況にあっても、その意味を決定する自由は常に自分にある」

ということです

もし今、人生が複雑で苦しいものに感じられるなら

それは世界が複雑なのではなく

あなたの「識(こころ)」が

そのように描き出しているだけかもしれません

「世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである。ただ、自分自身の意味づけがそれを複雑にしているのだ」

アドラーのこの言葉は、唯識論を説明しているように感じました

私の気づきはアドラー心理学の専門家、仏教の専門家からは鼻で笑われる内容かもしれません

私はアドラー心理学を深く学んだわけではなく

ただ「嫌われる勇気」を3度聴いただけです

私個人的な感想と受け取っていただけますと幸いです

私は仏教の教えは大好きです

共感する点がたくさんあります

仏教は過去の偉人が喧々諤々と議論し成立した一種の哲学だと思っています

改めて仏教の歴史を学ぶもっとも簡単な方法はポッドキャスト「COTENラジオ」の利用だと思います

Spotifyで無料で聴けますので興味のある方は是非聞いてみてください

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