小説『最善の浪費』第7話

小説
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企業勤めの内科医ヒロスケです

私は15年前に臨床医から企業勤務医に転職しました

転職した理由はいくつかの理由があり

決して単独の理由で転職したわけではありません

今回私が転職をした理由のいくつかを小説形式にして紹介します。

全何回になるか分かりませんが

お付き合いいただけましたら幸いでございます。

経験談を複合していますので、フィクションですのであしからず

 

第7章:『再会、そして分岐する日常』

退院から一週間。外来化学療法室の待合室には、再び二人の姿があった。

まずは鈴木さんの診察だ。

彼は仕事帰りのようなスーツ姿で、少しやつれた顔をしていた。

「先生、正直に言うと……かなり身体がだるいです。

夕方になると動けなくなることもある。

でも、血液検査の状態は問題ないんですよね?」

鈴木さんの問いに、私は最新の採血データを示した。

「ええ、白血球も肝機能も、継続に支障はありません。

倦怠感は薬の影響でしょうが、今はこれと折り合いをつけていく時期です。

鈴木さん、よく踏ん張りましたね。今日から外来化学療法に移行しましょう」

鈴木さんは安堵したように、しかし引き締まった表情で

「ありがとうございます。これでまた、家族との時間を繋げます」

と答えた。

彼は、副作用という重荷を背負いながらも、自らの足で「日常」という戦場へ戻っていった。

続いて、田宮さんが診察室に入ってきた。

先週までの朗らかな様子は消え、何度も激しく咳き込んでいる。

「先生……どうも、家に戻ってから、咳がひどくてな……。

夜も眠れんほどなんだ」

胸部レントゲンを一目見た瞬間、私の心臓が冷たく跳ねた。

退院時にはなかった淡い陰影が、両側の肺に広がっている。

急いで撮影した胸部CTの画像は、残酷な現実を映し出していた。

――間質性肺炎。

ノーベル賞にも輝いた「最新の免疫チェックポイント阻害剤」が、今度は敵として彼の肺を攻撃し始めていた。

「田宮さん、残念ですが……重い副作用が出ています。

お薬が原因で、肺に炎症が起きているんです。

このまま帰すわけにはいきません。

緊急入院が必要です」

診察室に、田宮さんの荒い呼吸音だけが響く。

「また、入院か……。せっかく、外に出られたと思ったのにな」

田宮さんの落胆した声が、診察室の白い壁に虚しく反響した。

一瓶数百万円の薬剤が、

鈴木さんにとっては未来を繋ぐ希望の光となり、

田宮さんにとっては自分自身を蝕む毒となった。

事務局から「入院手続き」の書類が届く。

先週、DPCの赤字リスクやベッドの空きを理由に、

半ば強引に「放逐」したはずの患者を、

今度は「副作用」という抗いようのない正当な理由で、

再び病院という檻の中へ受け入れることになる。

私は、入院の同意書にサインする田宮さんの震える手を見つめていた。

医学は進歩した。

一兆円を超える国費がこの薬剤に投じられ、

多くの命を繋いでいるのは事実だ。

だが、その進歩の影で、救われる者と、

副作用に苦しみながらシステムの狭間に閉じ込められる者の境界線は、

あまりにも残酷で、不条理だ。

医局へ戻る廊下。

ふと窓の外を見ると、夕暮れの街を歩く二人の子供の幻が見えたような気がした。

――私の仕事は、誰の、何を救っているのか。

その答えは出ないまま、私は再び、膨大なレセプトの数字と、鳴り止まないPHSの音の中へと戻っていった。

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