李登輝元総統の歴史は?漢奸とは?

台湾

昨日お亡くなりになった李登輝元総統に対して、漢奸(かんかん)と罵るSNSが散見されます。漢奸とは何なんでしょうか?そして李登輝元総統の何をもってそう指摘する人がいるのでしょうか?

台湾の李登輝元総統が30日夜(日本時間同)、死去した。97歳だった。李氏の入院先の病院関係者が明らかにした。終戦後に中国大陸から渡ってきた外省人の蒋介石、蒋経国親子による独裁が続いた台湾で、本省人(台湾出身者)として初の総統に就任。12年間の在任中に直接総統選挙を導入するなど民主化を進めた。「私はかつて日本人だった」と公言する親日家で、日台関係の発展にも尽力した。

引用:時事通信

記事にあるように李登輝元総統は親日家であり、現在の日本と台湾の友好関係を築いた人です。少なくとも日本人が李登輝元総統を貶めるようなコメントをするべきではありません。

1.漢奸とは何?

漢奸とは日本語でいうところの売国奴と言ったところです。「漢」の文字が含まれているように、漢民族に対する裏切り者を指します。裏切り物の粛清の代表として、日中戦争で日本に協力したものを虐殺した行為を「漢奸狩り」といった行為があります。

2.李登輝元総統は漢奸なのか?

李登輝元総統は漢民族の幸せであったり、発展を祈っていた人物であり、その点では漢奸であったはずがありません。漢奸の定義である「漢民族の裏切り者」という点で、裏切りとはだれに対しての裏切りなのかを考える必要があります。はっきりしているのは、李登輝元総統は中国共産党にとっては不要な人間であり、排除対象であったことは間違いありません。今現在SNSで散見される李登輝元総統を漢奸という情報源は中国共産党関係者に至るはずです。

3.李登輝元総統の生い立ち

台湾生まれの台湾育ちです。1923年生まれで、当時は既に台湾は日本によって統治されていました。日本人名は「岩里政男」です。台北高等学校を卒業後は京都帝国大学で農業経済学を学びます。1944年には学徒出陣にて出征しており、陸軍少尉として名古屋の高射砲部隊に配属され終戦を迎えています。終戦後の混乱期には日本人として活動から命を狙われることもあったといいます。1952年には米国に留学し、台湾大学での教鞭の経験を経て、米国コーネル大学で1968年にPh.Dを取得しています。

4.李登輝元総統の政治活動

終戦後の混乱期には一時共産党員であったことも認めています。しかしながら共産主義が失敗する運命であることも理解し、反対もしていました。その後共産党から離党。留学で学んだ農業経済学の知識を買われ、国民党に入党。最年少で入閣を果たした後は、農業専門の行政院政務委員として活動しています。その後は台北市長、中華民国副総統になります。1988年に当時に相当であった蒋経国が死去したため、総統代行として政務につき民主化を進めます。彼の最大の偉業は、自身で総統選挙を国民による直接選挙にしたこと。そして独裁政権の発生を防止するために、総統の「1期4年・連続2期」を決めたことだと思います。1996年には初めて総統直接選挙を行い、台湾史上初の民選総統として第9期総統に就任しました。この選挙は中国人民共和国を刺激し、米国もまじえて両岸での戦争への緊張感が高まりました。台湾を国として認めない中国共産党からするとこういった点からも、李登輝元総統は「漢奸」であるという理由になるのでしょう。その後は国民党の内部の分裂などがあり、2000年3月に国民党主席を辞任しました。

総統を退任されてからも、台湾の国際地位の確保・維持のために様々な活動をしていました。また自身が日本籍であったことを堂々と発言し、生粋の親日家でした。尖閣諸島も日本固有の領土であり、領有を主張する中華人民共和国のみならず、台湾政府に対しても批判を行っています。民主化を通して漢民族の幸せ・発展を願い、行動した人物であることは間違いありません。果たして誰が何をもって「漢奸」と言っているのか?情報源を見誤っていけません。改めて李登輝元総統のご冥福をお祈りいたします。

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